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「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」という言葉がありますが、やはり歴史について学ぶ事が、人のとってとても大事な事だと思います。 ここでは個人的な趣味として、この歴史について綴っていきたいと思いますので、お時間がある方はお付き合い下さい。
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 今年(2022年)の大河ドラマは「鎌倉殿の13人」です。
 私は大河ドラマでは「龍馬伝」以降、「平清盛」は見ていましたが、それ以降はあまりみていませんでした。しかし今年の大河ドラマの「鎌倉殿の13人」は、結構、ドはまりして毎回みています。

 私は「鎌倉時代」と聞いて理解していたのは、日本での武家政権が始まった時代という事だけであり、学生時代には「良い国作ろう(1192年)鎌倉幕府」という語呂合わせで記憶していた位で、あとは将軍である源頼朝が落馬して亡くなってから、その直系は三代で終わったという程度のものでした。

 「鎌倉幕府」なんて「幕府」という名前が付いている事から、どうも私の中では江戸時代の「徳川幕府」の様な印象を受け、その統治についても徳川幕府のイメージを強く持っていましたが、この鎌倉幕府に至る道筋、また当時の日本の統治機構について、今回の大河ドラマを見て、認識を改める処が多くあったのです。

◆武士は豪族だった
 武士を英語では「samurai」と言いますが、ここには恐らく幕末(江戸時代末期)に日本に来た欧米人のイメージが強くあると思います。私の中にある武士のイメージも、これに準じた内容で、例えば「主従」「切腹」そして「武士道」という言葉で表されます。いわゆる「武士(もののふ)」の姿ですね。
 しかしこの様式美と言って良いのか、そこは様々な意見があると思いますが、これは江戸時代に成立していたもので、私のもつ武士像というのも、この内容に拠るものでした。大河ドラマで、例えば「龍馬伝」に出てきた侍も上士・下士(これは後にまた書いてみたいと思いますが)の差はあれど、この江戸時代に成立していた姿でした。

 ただし「鎌倉殿の13人」に出てくる武士とは、いわゆる「豪族」であり、それぞれの地域の有力者が武装していた人達で、鎌倉時代には、この豪族の中で鎌倉殿(将軍)との主従関係を結んだ御家人と呼ばれる人達との間には、将軍との間には「御恩と奉公」という関係性がありました。これは豪族が所有する領地を幕府が安堵(認める)する。豪族がその見え帰りとして幕府に対して奉公するという関係性です。

 これは江戸時代の大名と将軍の関係とは、似て非なるものでは無いでしょうか。

 ドラマの中で、佐藤浩市氏が演じる「上総広常」は「おれは素直だ。素直というのは利で動くという事だ」というセリフを言っていましたが、これは当にこの「御恩と奉公」という考え方の元になるものではなかったのでしょうか。

 こういう処が、私は個人的にとても興味を引かれたところです。要は鎌倉時代はまだ武士(もののふ)という価値観は完全には成立していなかったという事ですからね。当然、平家物語等に書かれている武士には、その原型こそありましたが、こういう事は私もあまり意識をしていない処だったのです。

 という事で、これからこういった事なども、このブログではつらつらと書いてみたいと思っていますので、よろしくお願いします。

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